昭和41年卒業生

平成12年10月21日開催クラス会

機械工学科 昭和41年卒 深倉 壽一

 平成12年10月21日(土)、紅葉には一寸早い箱根湯本の「富士屋ホテル」において、機械工学科昭和41年度卒業生のクラス会を開催した。平成9年に静岡県の日本平で開催して以来のクラス会であるが、夫婦同伴7組、単身17名計31名が参加した。本来は夫婦同伴がもう一組、単身参加ももう1人の予定であったが、前者は学生時代と変わらぬ早とちりで開催日を1週間後の土曜と決めてかかり、当日電話が入りキャンセル、後者は3、4日前に体調を崩し、医者に酒を止められてやむなくキャンセルという残念な事情もあった。午後5時くらいからボツボツ集まり始めたが、中には久しぶりの参加で、会っても一瞬誰か判別不可能というケースもあり開宴前からロビーで愉快な対面、会話が始まった。

 懇親会では冒頭、先回のクラス会には元気に参加した同級生の柴田信武君が昨年、恩師の鈴木正彦先生が今年逝去されたとの報告があり、お二人のご冥福を祈って黙祷を捧げた後、開宴した。歳を経て頭髪の色や量、体格など風貌には勿論変化はあるものの、はつらつとして純真無垢(?)な時代に共有した若さ、自由、悩みそしてかの地仙台の街の思い出が我々を容易に学生時代に回帰させるのであろう、一瞬にして皆打ち解けて懐かしい話に花が咲いた。とはいえ、各人からの近況報告では外人の婿さんを持って戸惑っている話、孫自慢、大病の克服談等、皆それぞれに今まで社会に家庭に頑張って生きてきたことを物語る秘話が披露され、卒業以来の時間の長さもまたあらためて実感した次第である。また、丁度我々年代が企業においては役職定年という節目の時期でもあり、参加者の中には関連会社等へと勤務先を変えた者、またこれからさらに新しい第二の人生に向けて充電中といった仲間もいたが、皆それぞれにたくましく、自分の選んだ人生を楽しんでいる様子であった。その後、大部屋での二次会にも全員が参加し、学生時代のコンパさながらに話が盛り上がった。とにかく皆、歳のわりには心身ともに若く、明るく元気に出会えたことが何よりも嬉しい。最後に校歌を全員で合唱し、2,3年後の再会を誓って閉会となった。先回から夫婦同伴での参加を勧めているが、中には亭主同士以上に気心の合ったご婦人同士も出現したりで、これから先の付き合いを考えても嬉しい副次効果もでてきている。

 翌日はゴルフと散策のコースに分かれ、秋の箱根の自然をそれぞれ十分に満喫して帰路についた。我々も50歳も半ばを過ぎて、歳とともに大学時代の友との交友に懐かしさと大きな喜びを感じるようになり、ますます結束感が高まったようである。これからもできる限り多くクラス会を持ちたいと思うが、地域毎の個別の交流も大いに楽しんでもらいたいと願う次第である。

平成14年9月7日開催クラス会 「耳順を悟ろう会!」

機械工学科 昭和41年卒 大見 正俊

長良川河畔にて鵜飼観覧船をバックに42名が全員集合

 卒業後36年目の平成14年9月7日(土)岐阜の長良川河畔でクラス会を開催しました。仙台から長南君が、そして九州地域から小池・吉田君たちと参集メンバー30人、半数以上が昨年還暦を迎えました。メンバーの内12人が夫人同伴、合計42人の大クラス会。夫人同伴は先回の箱根・先々会の清水市日本平につづき三回目であり、過去最高の参加人数です。

 一次会は鵜飼見物という趣向で、浴衣に着替えた後に記念写真を撮り、その後50人乗りの貸切屋形舟に乗船。離岸前に鵜匠によるデモンストレーション。鵜飼の歴史は1300年、長良川の鵜匠は世襲制の6人、全員宮内庁式部職の国家公務員等々という説明を風折烏帽子・腰蓑・足半(あしなか)姿の髯の鵜匠から講義された後、鵜による鮎呑み込みの実演と続いた。鵜飼見物は完全に暗くなる8時から始まった。それまで上流の川原に係船して舟の上での宴席を楽しみつつ待つ。清流の向こうに金華山、頂上に岐阜城が見え、川面を渡る風は柔らかく、せせらぎの音、談笑の声は川と山に吸い取られる。焼きたての鮎も旨く、踊り子の乗った踊り舟が上流から下流、下流から上流へと行き来。漆黒の山を背景に篝火の下で水面をうごめく鵜の姿は皆元気良く、首振りたてて何度でも潜ってくれた。鵜綱はよくももつれないものだ。鵜舟は一通り流してから態勢を整えフィナーレとしての鵜飼舟六艘による総がらみ。日本にはまだまだ良き伝統が残っているものと皆が感動。

「おもしろうて、やがて悲しき、鵜舟かな   芭蕉」

 二次会はホテル地下のメンバーズルームを借切り、故人となった四名(稲吉 勝、臼井秀幸、小幡充男、柴田信武の各氏)の友に黙祷を捧げた後に近況報告。皆それぞれに自己PRをし、それぞれの人生を味わい、かつ取り組んでいる様子で、『「耳順」にはまだまだ!』といった調子。お互い三十数年の歳月をとび越え、いつしか仙台の時代にさかのぼる。プロジェクトXのエンディングの歌詞の「旅はまだ終わらない~!」といった印象であり、相互刺激になった事とおもわれる。更に三次会は数個の部屋に別れてまたまた飲酒&歓談。会の実態も「耳順が悟れなかった会」となった。

 夫人方も当クラス会に初めて出席する前は、皆さん躊躇され、ご亭主になだめすかされての参加であったようですが、二回目以降は積極参加派に大変身。これも各亭主達の人徳か、クラス会雰囲気のもたらす賜物か?夫人方も昔からの友の如く、亭主そっちのけでそれぞれ歓談・雑談等を楽しむ。

 次の日も、好天に恵まれ、岐阜城観光組とゴルフ組に分かれて各々四次会を満喫。皆満足げな顔で次回の長野県地域での再会を約して解散。

古人曰く「友あり、遠方より来たる。また、楽しからずや!」と。

-後記―

今泉君の急逝を悼んで

〔今回のクラス会の7ヶ月後の平成15年4月4日に今泉文彦君が急逝され、4月20日に同級生21名で大磯の今泉邸を弔問した。ここに今泉君も出席した昨年のクラス会報告の一文を謹んで彼の霊前にささげる。今泉君は過去の二回は夫婦同伴であったが、今回は奥さんのご都合でご一緒ではなかった。「次回は夫婦そろって長野には行くから!」と言って、岐阜城公園にて別れた。それが同級生との永の別れとなってしまった。4月20日には皆が心から彼のご冥福を祈った事を記し、クラス会開催の報告とさせていただく。〕

平成18年10月27日開催クラス会

機械工学科 昭和41年卒 牧野 駿彦

 隔年で箱根、岐阜、上田と各地で同期会が開かれ、毎回、奥様方を含めて多数の参加があったが、今年は卒業後40年の節目でもあり、仙台に集まろうと言うことになった。折角、仙台に集まるのなら青葉山1期生としては是非、青葉山のキャンパスを訪ねようと同期の加藤康司教授(機械システムデザイン工学専攻)に見学をお願いし、10月27日(金)の開催とした。

 半年前から予告して参加者を募ったところウィークデイにもかかわらず45名もの申し込みがあった。しかし我々の年代はリタイヤ組と現役組がほぼ半々で、現役組は要職に付いている人も多く、当日が近づくにつれてキャンセルが相次ぎ、結局31名(内ご家族は10人)が参加した。

 当日は2時に仙台駅に集まり、学生時代と同様、市営バスで青葉山に向かった。加藤教授が長年のトライボロジー研究の功績でASMEからの表彰受賞でアメリカに出張中のため、足立助教授にご案内をいただき、加藤研、和田研、坂研、山本研、橋田研を見学した。建物は昔の面影が残っているものの、研究内容は生体機械やコンピュータでの高度な流体シミュレーションなど我々が学んだ頃とは様変わりで、これが機械系?と思わされた。難しい内容だったが、各研究室ではCGや画像などで分かり易く説明していただき、我々だけでなく、奥様方も最後まで興味深そうに耳を傾けていた。参加者からは「内容は難しかったが、女房が、”亭主もこんな難しい勉強をしていたのだ”と感じて見直してくれたのでは?」と波及効果を期待していた。

 浅学の私にとってもこのような立派な大学に籍を置いたことがあったことを思うと改めて誇らしい気持ちになった。最後は青葉山の最高地点(と言うことは仙台の最高地点)の総合研究棟屋上から薄暮の仙台市街や懐かしい太白山などの眺めで締めくくると言う、心憎いご配慮をしていただき、充実したキャンパス見学を終えた。

 その後は茂庭荘に席を移し、伊達邸だったという鍾景閣で箪笥料理での宴会を開いた。従来は仕事の話題が多かったが、リタイヤ組が増えるにつれて趣味や家庭の話題が多くなっており、時間の推移を感じさせられた。奥様方から家庭内で煙たがられている様子が報告されると、亭主から反論があったり、漫才のような近況報告も多かった。奥様方は毎回参加の人も多く、ご夫人仲間での再会を楽しみにしている人が多くなってきている。今回はさらにお嬢さんの参加もあり、まさに家族ぐるみの付き合いに広がってきている。一次会が終わる頃に加藤教授が成田から駆けつけてくれて一層の盛り上がりとなった。加藤教授とは卒業以来の再会という者も多くて話が尽きず、長旅で疲れているところを二次会まで話し込んでいた。

 翌日は好天の元、松島への小旅行に出かけた。参加者が14人とやや少なかったが、貸切バスでゆったりと楽しむことができた。午前中は見通しが悪かったが、瑞巌寺、五大堂を回って船で松島湾巡りに出る頃にはすっかり晴れ上がり、塩釜までの島々の景色を楽しんだ。