昭和29年卒業生
精密29年卒アルバム(精密29年卒 澤村豊様)

1953年.12月

1954年.1月
精密工学科教室屋上から蔵王連峰を望む。
手前は機械工学部建物。

1954年.1月

1951年.11月

1952年.5月
精密工学科教室屋上から青葉山方面を望む

1953.11月
麻雀に興じる
精密29年卒アルバム(精密29年卒 澤口陽二様)















機械29年卒アルバム(機械29年卒 大山信様)


















絵画(機械29年卒 千葉重郎様)

在来線が仙台に向かって白石川を渡るあたりから眺め、
蔵王連邦は仰ぎ見る角度で素晴らしい風景だ。
トンネルだらけの新幹線からとは大部ちがう

大手門から天守台への坂を登っていくと、苔むした美しい石垣が現れてくる。特に青葉・若葉の候が一番美しい。
森林浴が楽しい。

青葉城が自然の要害であることは広瀬川畔大橋付近から見ればよくわかる。春夏秋冬の風景の美しさが充分味わえるところだ。

東二番丁あたり
(むかし宮城学院のあったあたり)は高層ビル群が林立しているが、その谷間に一軒の菓子老舗が存在していた。

片平丁校舎とはいってもむかしは”桜小路“とよばれていたところです。速研前の桜がとても美しかった。
左側が機械、右側が電気工学科でした

だるまは赤い色をしたものとされていたが、仙台の松川だるまは伊達藩らしく、極彩色に金色・銀色が入り、ド派手な名品だ。

こけし作りは施削加工の極致で見事な造形表現をしている。
これに単純な表情・着衣の柄を配し味のある作品としている。

片平丁校舎のなかでもかなり古い歴史的建造物の一つ。
この場所「桜小路」と言われたとうり桜の名所でした。
画面中央左端に精密工学科が少し見えます。
「山紫に水清く・・・」の歌詞の様に青葉山、向山、愛宕山、大年寺山と続く山なみ、水清き広瀬川のせせらぎの音など心に残る思い出のところです。

伝統ある仙台高等工業学校は東北大学片平丁キャンパスの南側に隣接、北門と南門が路一つ隔てて向かい合っていました。新制大学の工学部の教養部(2年間)として使用されていましたが、火災で焼失し今はすっかり変貌してしまいました。青葉記念会館にジオラマ模型として展示されていますが
高専時代を象徴する味のある校舎だったとおもいます。

片平丁キャンパスも歴史的、古典的建築・構造物が 目立つようになり風致地区的雰囲気が漂います。米ケ袋に面した西側に正門があるんですが、東北大生は滅多に利用せず、専ら賑やかな一番丁に近い北門を通るのがほとんど。しかし重厚な門構えは城下町として屋敷町によくマッチングしている。
正門を入ると桜と松の日本的植生の中に法文系図書館がひときわ目立つ。

1986年に完成した工学部青葉山キャンパスの新名所。
東北大学工学部と仙台高等工業学校の同窓生を母体とする同窓会(青葉工業会)が,それぞれの母校の創立60周年,
75周年を記念して建設されたものです。産学交流,国際交流の拠点としてスタートしました。青葉城址の西,竜ノ口渓谷の最奥部断崖上にあり展望絶景新しい東北大の象徴的存在です。

仙台の良さは生きた自然を豊に留める広瀬川と青葉山にあります。100万都市の街中、そのど真中で鮎が釣れるほど渓谷美と清流に恵まれている。青葉城は広瀬川と竜ノ口渓谷に囲まれた自然の要害上にある。樹木に恵まれ春夏秋冬の美的移り変わりは格別。近辺博物館、美術館に恵まれ、竜ノ口渓谷では化石が豊富に発掘できる。珍しいメタセコイヤまで生育しておりまさに市民憩いの場です。

広瀬川に架かる大橋を超え川内キャンパスを横目に坂道を登っていくと美しい樹林の中に苔むす高い石垣、白亜の城壁、中央に重厚な大手門が現れる。戦前の第二師団時代、戦後の進駐軍時代、東北大川内時代と周りは変っても、この一角周辺だけは古城の面影がそのままだ。左下のうっそうとした森の中に五色沼という小さな沼がある。わが国最初のフィギアスケート発祥の場所です。

伊達政宗は戦国武将としては珍しく和歌、漢詩にも長じ性格は豪気で、ダンデイズムな精神に富んでいた。豪壮華麗な桃山文化の導入に努めた。国宝・大崎八幡神社は慶長12年(1607)政宗によって建立された。本殿と拝殿が一体となった権現造りで、絢爛な桃山建築の典型です。また1月のどんと祭でも有名です。

おきまりのコースとは言え、天守台からの眺めはすばらしい。とにかく伊達政宗の馬上の銅像の下から展望することは偶に仙台にでかけるものにとって、変化・変遷の状態がひと目でわかるのです。仙台の市街地の広がるスピードはものすごいです。それも東西南北何れの方向にも。泉ケ岳、七ツ森の昔ながらの姿、眼下の広瀬川の流れ、山河健在です。

その昔、来たのはずれと言えば東照宮から台の原の一帯。寂しいところでした。中新田行きの軽便鉄道が真っ黒い煙を吐きながら北仙台をでていったのです。今は泉ケ岳の麓まで住宅が密集。シンボルの泉ケ岳は標高1172m仙台から
一番近い山として市民憩いの場となっている。国道4号線から眺める七ツ森は中国の山水画に似た面白い山容をみせる。

汽車の窓から外の走り行く風景をスケッチする。これも旅のたのしみの一つです。新幹線時代になったら、やたらトンネルが増えて急に場面が消えたり変わったりすることが多く閉口する。在来線は景色がユックリ流れ充分季節の移り変わりが堪能できる。春まだ浅い頃の白石川の鉄橋付近からの蔵王連峰は窓を額縁にしたくなるくらいいい風景で

戦後明善寮に住んだ人ならご存知だと思いますが、
昔旧制二高は北六番町にありました。明治の文豪高山樗牛は
二高在学中にしばしば台の原のこの地を散策、松の木の下で瞑想に耽ったと言われています。二高後輩の土井晩翠の歌碑に、「いくたびかここに真昼の夢見たる樗牛瞑想の松」。

青葉城址の南西、竜ノ口渓谷に架かるつり橋。
水面から優に100mは越し、春は新緑、夏は深緑、秋は紅葉、冬は白い綿の中に浮かぶ夢のような風景でした。
勢い誘い込まれるように自殺者も多く、名所にも。青葉城址から八木山を超え鉤取の第一教養部(理系教養部)までのハイクもゲルピン学生の楽しみのひとつ。

在来線はトンネルが殆どなく蔵王の風景も四季折々ゆっくり流れた。新幹線時代になると白石近くでは早くからよく注意して構えていることが必要です。通りすぎる瞬間の美を
捕まえるのも、楽しみのひとつ。新緑のまばゆい蔵王の風景などこの手です。

在来線はトンネルが殆どなく蔵王の風景も四季折々ゆっくり流れた。新幹線時代になると白石近くでは早くからよく注意して構えていることが必要です。通りすぎる瞬間の美を
捕まえるのも、楽しみのひとつ。新緑のまばゆい蔵王の風景などこの手です。

仙山線から東北大が見えた。北仙台をすぎ列車が山間に入るあたり、荒巻の方向の丘の上に東北大・青葉山キャンパスが見えました。太白山のおまけ付です。

青葉山キャンパスの象徴<青葉記念会館>の
屋上からの展望には頗る付の素晴らしさがあります。
仙台市街地の向こうに太平洋が見えるのは勿論のこと。
新しい風景として竜ノ口渓谷の春夏秋冬の樹林の美が新しい視角で現れ、これにゴルフ場のグリーン、太白山のカタチ、
蔵王連峰のホワイトなど一服の清涼剤です。

青葉山に機械系が移ってからまだ間もない頃のスケッチ。
川内からの坂道は最大の難所、冬の北斜面の凍結路は最悪だったようです。今は別世界にかわりました。何しろノーベル賞受賞者を育てたのですから。天下に誇れる東北大学です。

獲り立ての魚を食うなら塩釜付近のすし屋に限る。とろけるような美味しい刺身に預かれるからです。観光地風情のところはできるだけ避けたいもの。松島は夕方の日没寸前の風景が楽しく美しい。島も松も海もいっせいに逆光に輝く一瞬があるからだ。

大手門から天守台への坂を登っていくと、苔むした美しい石垣が現れてくる。特に青葉、若葉の頃が一番美しい。森林浴が楽しい。

仙台から在来線で1時間ほど新田駅に近く頃目の前に大きな湖沼がひらけ、遠くに秀麗な栗駒山を望むことが出来ます。
この伊豆沼は白鳥を始め、多くの渡り鳥の飛来地として有名で、野鳥の楽園です。

駅前広場はひろびろとしていました。駅舎は国体で立派になりました。古い型の市電が走り、トレーラバスが真っ黒い煙を吐いて満員の客を乗せていた頃の話で、新聞売り子の声が駅中に響いていました。

樹高15mにも及ぶけやき並木が4列、全長約1Kmに亘って続く。この緑地の空間の中に色々な彫刻やモニュメントがアクセントを添える。都市が熱に包まれるヒートアイランド現象を和らげる先駆けとして出現、新しい杜の都・仙台のシンボルです。

広瀬川の良さは清流、せせらぎ、街中の渓谷美にある。源流から河口までの距離が短いせいもあり、100万都市のド真ん中で鮎が釣れるなんぞ貴重な存在である