昭和41年卒業生
機械工学科昭和 41 年卒同期会報告
1. 開催まで大変でした
機械工学科昭和41年卒業の同期会を2022年11月10日に大分県別府市の「悠彩の宿望海」を主会場にして開催しました。 機S41同期会は過去20年の間2年に一度開催というリズムが保たれていて、九州幹事団(小池義雄君と筆者吉田寿樹)は今回もそのリズムを守って2020年11月12日に大分県・湯布院で開催することを1年以上前に決定しました。そして2月にはホテルの下見や会員への予告連絡といった準備を開始しました。しかしこの2月、のちに日本中を震撼させる新型コロナウイルス感染症がクルーズ船ダイヤモンドプリンセス号の乗員乗客の間で多数確認され、同船が横浜港に留め置かれるという事態が発生していました。それでも幹事団は同期会開催に向けて準備を続け、半年前の5月初旬には参加者を確定し、ホテルの手配も済ませました。しかし、残念ながら新型コロナウイルスの方もダイヤモンドプリセス号にとどまらず国内市中感染へと勢力を拡大していたわけで、ついに9月、同期会開催断念に追い込まれました。1年延期したつもりが2021年も新型コロナウイルスは収束せずに同期会は再び延期。このような紆余曲折を経て、当初予定より2年遅れて文頭の期日にようやく開催できたものです。
2. 同期会次第
第16回同期会は午前11時45分JR博多駅前バスターミナルに集合をもってスタートしました。夫婦での参加9組、そして単身での参加4名(茨城県から単身参加の5人目黒澤優君は都合で別府のホテルへ直行)は全員遅れることなくこの集合地点に集まりました。皆、遠方からの参加なのにそれぞれよく工夫して博多駅前のこの地点に正確に到着したものと我が同期会を誇りに思ったものです。静岡県からの大見正俊君ご夫妻と新潟県から単身参加の佐藤一也君は福岡に前泊しての集合でした。22名を乗せた大型観光バスはガイドさんの案内で九州北部の紅葉を散りばめた山並みの景色を楽しみつつ、大分県九重夢大吊橋に到着しました。くじゅう連山が近くに望めるこの吊橋は長さ390m、高さ173mの規模を誇り、人が渡る吊り橋としては高さ日本一とのこと。橋から眺める景色は青空に紅葉も鮮やかで空中に浮かぶこの空間はまさに天空の散歩道。九重夢大吊橋観光の後、再びバスに乗車して北部九州の観光ツアーを続け、16時15分に別府の宿に到着しました。ホテルでは先述の茨城県から直行した黒澤優君が浴衣姿で出迎えてくれました。
ホテル到着後は、湧出量、源泉数ともに日本一を誇る別府の温泉に浸かり今日の長旅の疲れを癒す。そして18時に大宴会室に集合して懇親会を開始。乾杯は一旦お預けとして、まず「同期会25年を振り返って」と題して大見正俊君にプロジェクターを使用してプレゼンをしてもらいました。彼の記録の良さに驚かされる。プレゼンの中で物故同期生達の段になったところで幹事小池義雄君の号令により黙祷を捧げる。プレゼンはなお続き、学生時代の写真やこれまでの懐かしい同期会の写真が数多く紹介されました。続いて幹事吉田より母校の現在を伝えるユーチューブの動画と校友歌「緑の丘」をプロジェクターを使用して紹介。18時45分に黒澤優君による乾杯の音頭で宴会開始。コロナ禍で、大声は自粛しつつも楽しい語らいの時間を持つことができました。そして、20時より恒例の近況報告のコーナー。夫婦揃ってマイク前で近況報告をするのだが、やり取りにおいて夫つまり同期生の方が押されているケースがほとんどで面白い。そして20時40分より海野紘治君に議長になっていただき「今後の同期会をどうするか」を議論しました。我々も80歳になり、これまでのような団体宿泊形式の同期会は幹事も参加者も負担が大きくなってきたのではないかというのが議論の理由。審議の結果、結論は「観光や団体宿泊を伴う同期会は今回をもって終了とし、今後は、できるだけ幹事の負担とならぬような形で開催する。例えば、宿泊等が必要な人は当人が手配する。幹事は基本的に、同期会の日時、会場、参加料金等を決め、参加人員を把握して開催することになる。次回幹事は東京の大熊清二君にお願いする」となりました。
宴会は21時に海野紘治君のリードで全員で肩を組み「青葉もゆるこのみちのく」を斉唱し、そして全員集合写真(1)を撮影して本番の懇親会を終了しました。
このあとは参加自由で中宴会室に移動して2次会。深夜まで賑やかに楽しく思い出話に花を咲かせました。そして、翌日朝10時にホテルロビーで2年後東京での再会を約束して第16回同期会の散会となりました。
3. 機S41同期会の歴史
同期生が齢八十になること、そして今回新型コロナウイルスにより同期会が大きく揺らいだこと、を機会に我がS41同期会の開催の歴史をまとめておきたいと思い本欄をお借りして表にしてみます。同期会員の指摘により追加変更される余地がありますが概ね下表のようになります。この表は大見正俊君のプレゼン資料、平野公孝君の情報(写真2)、筆者の記憶から作成したものです。
第1回 1968年3月30日 三菱商事御茶の水クラブ
第2回 1989年 熱海
第3回 1990年 作並温泉
第4回 1992年 京都 東山
第5回 1997年11月22日 清水市 日本平ホテル この回より同期会は夫婦同伴型に発展
第6回 2000年10月21日 箱根 湯元富士屋ホテル
第7回 2002年9月7日 岐阜グランドホテル 長良川河畔 鵜飼
第8回 2004年10月16日 信州別所温泉 上松や
第9回 2006年10月27日 仙台 茂庭荘【卒業後40周年】
第10回 2008年11月9日 千葉 江戸川屋形船 浦安 ホテルエミオン
第11回 2010年10月31日 草津温泉 大阪屋
第12回 2012年10月29日 高山市 高山グリーンホテル
第13回 2014年11月4日 秋田 たざわこ芸術村 温泉ゆぽぽ
第14回 2016年11月1日 佐渡 民宿敷島荘
第15回 2018年11月21日 彦根市 双葉荘
第16回 2020年11月12日 湯布院 亀の井別荘 新型コロナ感染症により延期
第16回 2021年11月 新型コロナ禍終息せず再び1年延期
第16回 2022年11月10 日 別府温泉 悠彩の宿望海
4. まとめ
新型コロナウイルスにより2年にわたり2度も延期を余儀なくされましたが、3度目の計画2022年11月10日がパンデミック第7波と第8波の谷間にはまり感染者を一人も出さずに同期会が開催できたことは大変良かったと思います。また参加者全員がワクチン接種済み証を携行してくれて、旅行割支援が受けられ、おまけにお買い物クーポンまでもらえるという幸運も加わり、思わぬ楽しさが増えました。卒業後56年経過しましたが、同期会の集まりをいきなりやめてしまうのではなく、飲み会の如く気軽に集まれる形式で続けていこうという皆の意志が確認できたことは今回の同期会の成果でもあります。
前列左より、小池晴美さん、田村康子さん、天田絢子さん、西堀久美子さん、大熊和代さん、赤澤京子さん、大見佳代子さん、杉本光子さん、斉藤章子さん
中列左より、田村実、赤澤順、黒澤優、佐藤一也、海野紘治、天田勝元、吉田寿樹(幹事、筆者)、大見正俊
後列左より、斉藤圭司、持舘昭、西堀聰、小池義雄(幹事)、大熊清二(次回幹事)、杉本良則 以上同期生敬称略
写真1 第16回同期会参加の皆さん
写真2 第1回同期会の通知
平成18年10月27日開催クラス会
機械工学科 昭和41年卒 牧野 駿彦
隔年で箱根、岐阜、上田と各地で同期会が開かれ、毎回、奥様方を含めて多数の参加があったが、今年は卒業後40年の節目でもあり、仙台に集まろうと言うことになった。折角、仙台に集まるのなら青葉山1期生としては是非、青葉山のキャンパスを訪ねようと同期の加藤康司教授(機械システムデザイン工学専攻)に見学をお願いし、10月27日(金)の開催とした。
半年前から予告して参加者を募ったところウィークデイにもかかわらず45名もの申し込みがあった。しかし我々の年代はリタイヤ組と現役組がほぼ半々で、現役組は要職に付いている人も多く、当日が近づくにつれてキャンセルが相次ぎ、結局31名(内ご家族は10人)が参加した。
当日は2時に仙台駅に集まり、学生時代と同様、市営バスで青葉山に向かった。加藤教授が長年のトライボロジー研究の功績でASMEからの表彰受賞でアメリカに出張中のため、足立助教授にご案内をいただき、加藤研、和田研、坂研、山本研、橋田研を見学した。建物は昔の面影が残っているものの、研究内容は生体機械やコンピュータでの高度な流体シミュレーションなど我々が学んだ頃とは様変わりで、これが機械系?と思わされた。難しい内容だったが、各研究室ではCGや画像などで分かり易く説明していただき、我々だけでなく、奥様方も最後まで興味深そうに耳を傾けていた。参加者からは「内容は難しかったが、女房が、”亭主もこんな難しい勉強をしていたのだ”と感じて見直してくれたのでは?」と波及効果を期待していた。
浅学の私にとってもこのような立派な大学に籍を置いたことがあったことを思うと改めて誇らしい気持ちになった。最後は青葉山の最高地点(と言うことは仙台の最高地点)の総合研究棟屋上から薄暮の仙台市街や懐かしい太白山などの眺めで締めくくると言う、心憎いご配慮をしていただき、充実したキャンパス見学を終えた。
その後は茂庭荘に席を移し、伊達邸だったという鍾景閣で箪笥料理での宴会を開いた。従来は仕事の話題が多かったが、リタイヤ組が増えるにつれて趣味や家庭の話題が多くなっており、時間の推移を感じさせられた。奥様方から家庭内で煙たがられている様子が報告されると、亭主から反論があったり、漫才のような近況報告も多かった。奥様方は毎回参加の人も多く、ご夫人仲間での再会を楽しみにしている人が多くなってきている。今回はさらにお嬢さんの参加もあり、まさに家族ぐるみの付き合いに広がってきている。一次会が終わる頃に加藤教授が成田から駆けつけてくれて一層の盛り上がりとなった。加藤教授とは卒業以来の再会という者も多くて話が尽きず、長旅で疲れているところを二次会まで話し込んでいた。
翌日は好天の元、松島への小旅行に出かけた。参加者が14人とやや少なかったが、貸切バスでゆったりと楽しむことができた。午前中は見通しが悪かったが、瑞巌寺、五大堂を回って船で松島湾巡りに出る頃にはすっかり晴れ上がり、塩釜までの島々の景色を楽しんだ。
平成14年9月7日開催クラス会 「耳順を悟ろう会!」
機械工学科 昭和41年卒 大見 正俊
卒業後36年目の平成14年9月7日(土)岐阜の長良川河畔でクラス会を開催しました。仙台から長南君が、そして九州地域から小池・吉田君たちと参集メンバー30人、半数以上が昨年還暦を迎えました。メンバーの内12人が夫人同伴、合計42人の大クラス会。夫人同伴は先回の箱根・先々会の清水市日本平につづき三回目であり、過去最高の参加人数です。
一次会は鵜飼見物という趣向で、浴衣に着替えた後に記念写真を撮り、その後50人乗りの貸切屋形舟に乗船。離岸前に鵜匠によるデモンストレーション。鵜飼の歴史は1300年、長良川の鵜匠は世襲制の6人、全員宮内庁式部職の国家公務員等々という説明を風折烏帽子・腰蓑・足半(あしなか)姿の髯の鵜匠から講義された後、鵜による鮎呑み込みの実演と続いた。鵜飼見物は完全に暗くなる8時から始まった。それまで上流の川原に係船して舟の上での宴席を楽しみつつ待つ。清流の向こうに金華山、頂上に岐阜城が見え、川面を渡る風は柔らかく、せせらぎの音、談笑の声は川と山に吸い取られる。焼きたての鮎も旨く、踊り子の乗った踊り舟が上流から下流、下流から上流へと行き来。漆黒の山を背景に篝火の下で水面をうごめく鵜の姿は皆元気良く、首振りたてて何度でも潜ってくれた。鵜綱はよくももつれないものだ。鵜舟は一通り流してから態勢を整えフィナーレとしての鵜飼舟六艘による総がらみ。日本にはまだまだ良き伝統が残っているものと皆が感動。
「おもしろうて、やがて悲しき、鵜舟かな 芭蕉」
二次会はホテル地下のメンバーズルームを借切り、故人となった四名(稲吉 勝、臼井秀幸、小幡充男、柴田信武の各氏)の友に黙祷を捧げた後に近況報告。皆それぞれに自己PRをし、それぞれの人生を味わい、かつ取り組んでいる様子で、『「耳順」にはまだまだ!』といった調子。お互い三十数年の歳月をとび越え、いつしか仙台の時代にさかのぼる。プロジェクトXのエンディングの歌詞の「旅はまだ終わらない~!」といった印象であり、相互刺激になった事とおもわれる。更に三次会は数個の部屋に別れてまたまた飲酒&歓談。会の実態も「耳順が悟れなかった会」となった。
夫人方も当クラス会に初めて出席する前は、皆さん躊躇され、ご亭主になだめすかされての参加であったようですが、二回目以降は積極参加派に大変身。これも各亭主達の人徳か、クラス会雰囲気のもたらす賜物か?夫人方も昔からの友の如く、亭主そっちのけでそれぞれ歓談・雑談等を楽しむ。
次の日も、好天に恵まれ、岐阜城観光組とゴルフ組に分かれて各々四次会を満喫。皆満足げな顔で次回の長野県地域での再会を約して解散。
古人曰く「友あり、遠方より来たる。また、楽しからずや!」と。
-後記―
今泉君の急逝を悼んで
〔今回のクラス会の7ヶ月後の平成15年4月4日に今泉文彦君が急逝され、4月20日に同級生21名で大磯の今泉邸を弔問した。ここに今泉君も出席した昨年のクラス会報告の一文を謹んで彼の霊前にささげる。今泉君は過去の二回は夫婦同伴であったが、今回は奥さんのご都合でご一緒ではなかった。「次回は夫婦そろって長野には行くから!」と言って、岐阜城公園にて別れた。それが同級生との永の別れとなってしまった。4月20日には皆が心から彼のご冥福を祈った事を記し、クラス会開催の報告とさせていただく。〕
平成12年10月21日開催クラス会
機械工学科 昭和41年卒 深倉 壽一
平成12年10月21日(土)、紅葉には一寸早い箱根湯本の「富士屋ホテル」において、機械工学科昭和41年度卒業生のクラス会を開催した。平成9年に静岡県の日本平で開催して以来のクラス会であるが、夫婦同伴7組、単身17名計31名が参加した。本来は夫婦同伴がもう一組、単身参加ももう1人の予定であったが、前者は学生時代と変わらぬ早とちりで開催日を1週間後の土曜と決めてかかり、当日電話が入りキャンセル、後者は3、4日前に体調を崩し、医者に酒を止められてやむなくキャンセルという残念な事情もあった。午後5時くらいからボツボツ集まり始めたが、中には久しぶりの参加で、会っても一瞬誰か判別不可能というケースもあり開宴前からロビーで愉快な対面、会話が始まった。
懇親会では冒頭、先回のクラス会には元気に参加した同級生の柴田信武君が昨年、恩師の鈴木正彦先生が今年逝去されたとの報告があり、お二人のご冥福を祈って黙祷を捧げた後、開宴した。歳を経て頭髪の色や量、体格など風貌には勿論変化はあるものの、はつらつとして純真無垢(?)な時代に共有した若さ、自由、悩みそしてかの地仙台の街の思い出が我々を容易に学生時代に回帰させるのであろう、一瞬にして皆打ち解けて懐かしい話に花が咲いた。とはいえ、各人からの近況報告では外人の婿さんを持って戸惑っている話、孫自慢、大病の克服談等、皆それぞれに今まで社会に家庭に頑張って生きてきたことを物語る秘話が披露され、卒業以来の時間の長さもまたあらためて実感した次第である。また、丁度我々年代が企業においては役職定年という節目の時期でもあり、参加者の中には関連会社等へと勤務先を変えた者、またこれからさらに新しい第二の人生に向けて充電中といった仲間もいたが、皆それぞれにたくましく、自分の選んだ人生を楽しんでいる様子であった。その後、大部屋での二次会にも全員が参加し、学生時代のコンパさながらに話が盛り上がった。とにかく皆、歳のわりには心身ともに若く、明るく元気に出会えたことが何よりも嬉しい。最後に校歌を全員で合唱し、2,3年後の再会を誓って閉会となった。先回から夫婦同伴での参加を勧めているが、中には亭主同士以上に気心の合ったご婦人同士も出現したりで、これから先の付き合いを考えても嬉しい副次効果もでてきている。
翌日はゴルフと散策のコースに分かれ、秋の箱根の自然をそれぞれ十分に満喫して帰路についた。我々も50歳も半ばを過ぎて、歳とともに大学時代の友との交友に懐かしさと大きな喜びを感じるようになり、ますます結束感が高まったようである。これからもできる限り多くクラス会を持ちたいと思うが、地域毎の個別の交流も大いに楽しんでもらいたいと願う次第である。